パオロ・マッツァリーノが経済学者を嫌う理由

前提として

続・反社会学講座 (ちくま文庫) - はてなキーワードからの引用です。マッツァリーノが経済学者を嫌っていることを表現した背景として、文庫化される前の単行本である、反社会学の不埒な研究報告 - はてなキーワードで経済学へ疑問を呈したり、リフレ派を批判したりした結果、一部の経済学者から反発を食らったそうです。そういった経緯を踏まえてご覧ください。

経済学者を嫌う理由

私が経済学者を嫌っていると思われたのなら、それは誤解です。私は基本的に、すべての学者が嫌いなんです。

その理由として、学者は基本的に(素人から)批判されにくい地位にいて、世の中の人々を内心で馬鹿にして、下に見ていることを挙げています。

市場原理からの批判

金融危機などの影響で市場原理への信頼が揺らいでいることを背景として、経済学者が資本主義は嫌いなのか?と論点をずらして攻めてきた。それに対して、マッツァリーノはフリーの立場でライターをしていて、収入が不安定なことを詳述する。

あえて申し上げましょう。私こそが、市場原理の体現者なのだ、と。だからこそ、市場原理の危なっかしさや限界、理論と現実の差も気をもって体験しているんです。
それでは逆におたずねします。市場の自由を擁護する大学教授のみなさんは、いかがおすごしですか。
いったん教授・准教授になってしまえば、能力や仕事量と関係なく、一定の収入を得られます。
(中略)
どんなにつまらない研究や講義をしてたって定年までクビになることはめったにないし、定期昇給で給料は上がり続けます。
おやおや、これのどこが資本主義なんでしょう? まるで旧ソ連の指導者たちではありませんか。競争原理などかけらもありません。

その後、経済学者が、会社は誰のものか、のような議論をしたことに対して、会社勤めをしたことのない学者がこのような議論をするとは噴飯ものであると述べ、仮にその学者が正しいとして、なんで大学を株式会社化しないのか、なんで講義や研究を厳しく査定してもらわないのか(経済学の原理を大学に導入しないのか)について書いています。
最後に、なぜ経済学者が信用されないのかを引用します。

競争原理による淘汰や雇用の流動性を高めることが経済を活性化するというのなら、それが論理的帰結だったら、なぜご自分たちが率先して実践しないのですか。自由経済を他人に薦めておきながら、自らは競争と無縁の安全圏にとどまっている奇妙な人たち。自分らがやろうとしない、できもしないことを、世間の人に実践するように強要する卑怯な人たち。誰がそんな連中のいうことを信用しますか。